主を知らない人
出エジプト記 5章1節から9節
人は「主を知らない人」と「主を知る人」に大別される。
主を全く知らない人
・聞いたこともない人
・聞いても頭から否定する → 聞こうとしない人=「罪」の中心問題。(参照/ 詩篇14:1から3、箴言1:7、9:10)
主と無関係に生きる→罪深い思いや行いが生じる。

主を知っている人
・客観的に知っている(聞くことに始まる)
 ※パロはここまでは近付いた→モーセと聖業(災禍)を通して → しかし拒絶
 ※モーセもここにいたー幼少期〜若い時の自己義の失敗、派遣命令のときにも。
・主観的・経験的に知った
 ※求める人、受け容れる人のみの知り方
 ※パロは拒絶したが、モーセは受け容れ、「神の人」「神の友」と呼ばれた → 経験的に知った人には「交わり」が生まれ、知る事が深まる。

主を知っているだろうか。どのように知り、関係を保ち、深めているか。いよいよ主を知り、まだ知らない人に伝えよう。紹介しよう。