神がひとりの人生に目を留め、導いてくださる事実は、モーセも私たちも変わらない。
この記事は、モーセがエジプトからミディアンに逃れて40年経過した時の出来事。
エジプトでの40年の生活も忘れかけてしまう年月?
(誕生から奇跡的な出来事も、このままミディアンで落ち着いた生涯を過ごし、死ねば大した意味はないだろう。)
しかし、神の目の前に40年は一瞬。モーセを守り、この日まで生かされた意味があった。万を辞してモーセを呼びに来られた時の出来事。
神の山ホレブに関しては後日学ぶ。
私たちも日常生活の中で、他の周囲の人たちと同じような日々、経緯、喜びや悲しみを通過する。
クリスチャンと呼ばれる人ならではの失敗や痛み、不安も。自分自身の生き様だけでなく、子、家族、友人などに影響を与える存在でもある。
神はそんなモーセに御自身を現わされた。過去の生い立ちに優って、この出来事はモーセにとって最重要事だった。これ抜きに出エジプトの大事はできず、これがあった故に出エジプトの大事が成し遂げられたのである。
「神と相見える」とは、顔と顔を相合わせるかのように向き合うこと。神が呼びかけ、モーセが聞いて従った。
モーセを見ておられた主は、今日も私たち一人一人を見、近づいてくださる。聖霊が心の中に住み、内に住んでおられる主イエスを思い起こさせ、確信を与えてくださる。あなたの霊魂は聖霊によって日々主と相見えることができる。
信仰は、その経験にまであなたを導き、その恵みの中に保つことができる。
参照
コリント人への手紙 12章3節
ヨハネの手紙第一 ヨハネ4章2節15節