新しく生まれる
ヨハネの福音書 3章 1節から15節
天地創造→人間→堕罪→神に従わない選択をした。
居るべき約束の地から遠く離れた生活(離れたい願望)→罪の生活の描写。
堕罪の瞬間、神から隠れた。「あなたは何処に?」
人間の自由意志は、神から離れ得る。要警戒
アダムとエバを聖霊によって創造し生まれさせた。
その「生む」能力と構造を与えて人に託された。堕罪し、人の子、罪の子として生まれることになった。
「イエスが聖霊により胎に宿られた」ことは不可能ではない。むしろ元々の手段を使われた。
「人が神によって生まれる」ということの可能性をはっきり自身の誕生を通して示された。
ニコデモは、議員・教師の後、十字架の主の葬りのために高価な薬を持ってきた人。
この時代、夜出るのは極めて稀。イエスに会って聞きたいとの、たましいの欲求を押さえられなかった。
「新しく生まれる」→「母の胎に戻る?」と聞き直した程、それと同じ表現。
肉体と同じように霊的誕生があるということは重要であり可能なこと。
「神から生まれる」はっきりした経験が、神を信じるということによって与えられる。
新生経験=霊の誕生日→人生の一大事→永遠のいのちの始まり
ヨハネの手紙 第一 5章 1節から2節 信じて新生できる。
新生児→霊の父の元で父と共に生きる。霊の真の乳で育つ。
神の子として育ち、神の御心を行なう。神の栄光を表すために生きる。新しく生まれた者らしく今日を生きよう。