喜び祝うのは当然
喜び祝うのは当然
ルカの福音書 15章 11節から32節(放蕩息子のたとえ話)

私たちは自分自身のパリサイ化に気をつけよう。
おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。(32節)

ずっと待っていた父の愛
自分自身に注がれた神の愛を謙虚に忘れない。(罪人だった者を神の愛によって受け入れていただいた感謝)

いなくなった状態の深刻さ
罪の状態に死んでいた者は、重大な危険な中!そのままなら永遠の滅びに!深刻な事実。

喜び祝い楽しむ礼拝
毎週大手を広げて迎えてくださる愛の父を思いながら、礼拝に帰ってくる思いで集う恵みの礼拝としたい。 父と共に喜ぶ礼拝、父の喜びを共に体験する礼拝。 神の愛と恵みを証しし、福音を伝えることのできる教会となってゆける。

今年、一人一人の日常の歩み、仕事、つとめ…に、神の祝福、喜び、感謝が豊かに溢れる一年となることを心より祈る。